東叡社紹介
東叡社(とうえいしゃ)は、1955(昭和30)年、上野駅からほど近い、昭和通りに面した現在ではオートバイショップが並ぶあたりに、当時スポーツサイクル製作では定評があった丸都自転車の工場長で、ヨーロッパのスポーツ車を研究していた打保梅冶によって設立されました。
東叡社は、設立当初よりスポーツ車製作を専門としていたため、当時から業界関係者より注目される存在でした。工房は、上野で設立されたのち町屋、浦和、川口と移転、社長も4代目となり職人も多く輩出しています。
工房、職人の変遷はありますが、東叡社の技術は連綿と受け継がれており、創業から50年余りが経った現在も、自転車の製作については、ツーリング系スポーツ車を最も得意とし、多くのサイクルツーリスト、自転車愛好家から支持されています。なかでも、特殊工作などの手間と繊細さが要求される工作の技術力は群を抜いており、今や、スポーツ車の製作においては世界的にみても非常に稀有な存在となっています。

  社名の由来



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(c)東叡社