星乱拳客伝 外伝 −鋼の記憶−
承の結章
俺は八雲さんと対峙していた。
まだ試合は始まっていない。
俺が軽く身体を動かしているために、須田くんが声をかけずに待っているからだ。
いったいどんな手を使ったのか・・・
ハルとの試合では、特別なことをしたようには見えない。
しかし、最後に膝を付いたのはハルであった。
「うまく言えませんが、妙な感じですよ」
そのハルが俺にささやいた言葉である。
確かに空振りしたとはいえ、相手に背中を見せるほど大振りしているようには見えなかったし、ハルがそんな事をするとも思えない。
やってみるしかないってことか・・・
腹をくくった俺は須田くんに軽く肯いた。
「互いに礼」
須田くんの声に続いて、礼をする。
「軽くいこう、軽く」
目前の八雲さんが言う。
ハルの『軽い』とは言いがたい攻撃を『軽く』あしらった男に、どの程度『軽い』攻撃を仕掛けたものか。
「構え」
考える間にも、その瞬間は迫ってくる。
ハルの暴走とも思える行為は、俺には理解できる。
いつもなら俺がやっているようなことを代わりに奴がやったのだ。
それは、俺がここでやりにくくならないようにとの配慮からだろう。
きっと八雲さんも解っていたに違いない。
「始め」
試合は始まった。
しかし、俺は動かなかった。
八雲さんも動かない。
俺が跳び出すと思っていたのだろう、道場は妙な空気に包まれた。
「こないのなら行くよ」
八雲さんはそういうと、無防備といってもいいほどの踏み込みで間合いを詰めてきた。
その詰めてきた距離の分だけ俺が下がる。
試合中の今でさえ八雲さんはどこにでもいそうな中年の男に見える。
しかし、目前の男の中にはハルの猛攻を退けた技が秘められているのだ。
「どうした榊くん」
八雲さんが距離を詰め、俺が下がる。
そういう動作を三度くり返した後の八雲さんの問いである。
そしてまた、八雲さんが距離を詰める。
じれた訳ではないだろうが、いままでより若干踏み込みが深い。
俺は、四度目の下がる動作の途中で、脚払いへと切り替えた。
八雲さんの左脚を俺の右脚が払う・・・筈だった。
妙な感じとはこのことか・・・
俺の右脚の軌道が俺の意図していない軌道を描いている。
車で深い轍(わだち)の道を走っている時、ハンドルを取られそうになる感覚と似ている。
いったん大きく下がって八雲さんと距離を取った。
「感覚は掴めたかい」
八雲さんはその場を動かず、俺に問うた。
「いえ、まだまだです」
俺は答えた。
「そりゃそうだ、そんなに簡単じゃ商売あがったりだ」
嬉しそうに言うと、八雲さんは距離を詰めてきた。
今度は俺も下がらない。
一気に間合いを詰め、互いにパンチ・・・八雲さんは掌だったが・・・を打ちあった。
やはり、あの妙な感覚だった。
外しようのないスピードとタイミングで放ったパンチが空をきる。
パンチの軌道が逸れてしまうのだ。
対する八雲さんの掌は面白いように俺を打った。
俺の動きを読んでいるかのように掌が跳んでくる。
一分間近い打ち会い・・・一方的ではるが・・・の後、自然に距離を置いていた。
「こんなところかな」
八雲さんが言う。
「ありがとうございます、うっすらと見えたような気がします」
俺が言う。
「ほう。。。では、見せてもらおう」
つつつと八雲さんが迫り、右掌を放った。
なんの変哲もない右掌。しかし、その右掌は不可避の魔法がかけられている。
俺は一歩右へ踏み込みフックぎみに右拳を放った。
「怖い男だね、君は」
八雲さんの右掌は俺の左脇腹に軽く触れられていた。
「八雲さんこそ、怖い人ですね」
俺の右拳は八雲さんの左脇腹には届かなかった。
その拳は八雲さんの左腕ががっちりとガードされていたのである。
「わかったような気がしたんですが・・・」
互いに下がり一礼した後、俺は言った。
「かなり近いところまで来てるよ」
八雲さんが目を細めながら言う。
「いやいや、愉快なことだ」
からからと笑いながら八雲さんは道場を去った。
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